フォト

銀ちゃん(フェレット)

検索

  • ブログ内検索
    Loading...
    Loading...

ブログパーツを貼るリスト名

無料ブログはココログ

お気に入り(ショップ)

« 大船観音にいってきました+α | トップページ | 何もかもがいまいち… »

2009年10月15日 (木)

「黄金の都シカン」展に行ってきました

今晩は、最近うつの激しいSARUです。

やる気が起きないのですが、ブログを立ち上げたからにはとりあえず続けなければと頑張っております(ブログって頑張ってやることか?)。
メールで楽天の「アフィリエイト成果レポート」なるものが送られてくるのですが、ポイント0、ランクDと散々な成績ですcrying。わざわざこんなもの送ってこなくてもいいのに…pout
なんか悔しいので、なるべく毎日ブログを更新して目立つようにしたいと思います。

さて、今回は10/12(月)に行った、上野の国立科学博物館で行っていた「黄金の国シカン」展についてです。当日はあまり行く気がしなかったのですが、毎度のことながら当日が展示会の最終日で、しかもチケットは買ってあり、更にチケットは図録付き(当日、現場に行くともらえる)ものだったので、行かなければ大損です。
仕方なく行ってきた感のある展示会でしたが、結構見ごたえがありよかったです。

さて、「シカン」とは古い土着語である「ムッチク語」で「月の宮殿」をあらわす語であり、その都を中心としてプレ・インカ時代に興った文化が「シカン文化」ということです。「シカン文化」と名付けたのは、シカン文化学術調査団団長の南イリノイ大学の島田泉教授です。
「シカン文化」はアンデス文明の一部(一時期に興った文化)であり、アンデス文明の特徴としては文字を持たないことが挙げられます。よって、このシカン文化の中心地である都「シカン」なる名前も、当時はどのように呼ばれていたかは記録になく、恐らく永遠に分からないでしょうとのことです。
アンデス文明はアンデス地域、すなわち南アメリカ大陸の太平洋岸に興った文化の総称で、紀元前2000~スペイン人が侵略してきた16世紀まで花開いた文明です。その文化としては、スペイン人に侵略されたインカ帝国(インカ文明)(15世紀半ば~16世紀半ば)、ナスカの地上絵で有名なナスカ文化(紀元前後~後600頃)などがあります。
シカン文化は現在のペルー北部海岸地帯のランバイェケ州辺りで後800~850に興り、チムー王国に征服される1375年まで栄た文化です。チムー王国の征服によりシカン文化が完全に消滅したわけではなく、その後、チムー文化に吸収され、更にインカ帝国にも引き継がれていたということです。よって、シカン文化の完全な消滅はスペイン人の侵略によってなされたととれます。

今回の展示会は、シカンの都にあるロロ神殿の東、西、西側スロープ脇で発見された墓で発掘された遺品を中心に、シカンの際立って個性的な文化が紹介されておりました。
ちなみにロロ神殿は乾燥レンガで作成されていたため、現在は形を留めておらず、単なる山にしか見えません。

まず目に引くのが、東の墓で発見されたシカン神を模った仮面です。ほとんど金により作成されており、顔面部にはシカン神の特徴であるアーモンドアイ、釣り上った目があり、朱が塗られています。額部には蝙蝠を模った額飾りがあり、細かい装飾がみごとです。頭部は白の放物線状の板には円形の穴がいくつか開けてあり、そこに中央部が丸みがかった円系の金がくくりつけてあります。そして頭飾りの外縁には黄金の羽根飾りがびっしりとつけられています。耳飾りも見事です。
この仮面はロロ神殿の東の墓の主につけられていたそうです。その墓は竪穴式で、深さ12mに達し、約1.2トンにもなる多彩な副葬品と、殉葬者でしょうか他の5体の遺体とともに埋葬されておりました。当時のエリート階級の人の墓の典型例です。また、この東の墓の主は変わった埋葬のされ方をしております。通常はあぐらを掻いたような格好で埋葬されるようなのですが、この東の墓の主はあぐらは掻いていますが、西を見る向きに逆さまにされ、更に頭部のみ体から切り離されて上下正常の位置で埋葬されていたとのことです。
なぜこのような形で埋葬されたかははっきりとはしておりませんが、この埋葬の仕方により、ロロ神殿の西にも東の墓と対極する墓があるのではないかとの仮説を立て、発掘されたのが「西の墓」とのことです。

西の墓は縦10m横6m、深さ15mで、先スペイン期の墓としては最大級のものだということです。西の墓の主は多くの女性たちとともに埋葬されていました。この墓の主は歯の形態学的調査より、東の墓の主とは「叔父」と「甥」の関係だったことが分かっています。歯の形状でこんなことまで分かるとは驚きです。

更に西側スロープ脇の墓には、当時としては珍しい女性のエリートの墓が発掘されています。縦横深さ3×3×5の竪穴式墳墓には墓の主とともに、多数かつ多彩な副葬品、成人女性の従者、墓の入り口には二人の子供が埋葬されていたとのことです。発掘時には女性の遺体のそばに銀製のちちパット、おや失礼、胸当ても見つかっており、発掘中から女性の墓ではないかということが推測できていたかもしれません。
西の墓では多くの女性たちが殉葬者として殺されているので、本文化での女性の地位は低かったのではないかと思いきや、このように女性でもエリート扱いの墓が作成されているということは、本文化が男女差別のないエリート社会だったことをうかがわせているように思えます。

シカン文化の特徴として、先に述べたシカン神の仮面のように卓越した金属加工技術および土器製造技術があるとのことです。

土器については、黒色単注口壺に代表されるように、押型を使用した大量生産技術および土器を焼きあげる条件をうまく制御できる窯により、アンデス文明では黒色光沢土器をこの時代に始めて完成させ、大量生産により他の都市国家との交易品として人気を博したとのことです。
展示品にも多数の黒色光沢土器がありましたが、黒くて光沢のある土器がいかにも頑丈そうでかっこよく、また、光沢感がいかにも金属加工を得意としたシカン文化的であると思いました。

また、金属加工技術については先ほどのシカン神の仮面のような金細工から、銀細工、砒素銅細工は目を見張るものがあり、特にシカン神の仮面もさることながら、黄金製のトゥミ(本来は生贄の喉を切る道具であるが、黄金製のものは公的儀式で見せるためだけに用いられたとされている)や卵を抱いた蜘蛛を模った装飾品の繊細さは驚きです。
また、一般庶民にも砒素銅細工のような金属品が浸透しており、これは他のアンデス文明には類を見ないということです。

さて、今回は金属加工技術の卓越した文化の展示会です。他の展示会に漏れず、やはり金銀宝石細工ではおばちゃま連中が、おばちゃまだけでなく若いおねいさん方も展示ガラスにへばりついておりました。そして何故か土器についてはおじさま連中に人気がありました。ただ、今回の展示会は人はいるにはいましたが混み込みではなかったので、案外いらいらせずにすんなりと展示品を見ることができました。

展示を一通り見終わってさて、最後はお買いものです。先に話にありました黒色光沢土器のレプリカがあったので迷わず買ってしまいました。その他、TシャツやらDVD、展示会場でかかっていたアンデス風の曲が気に入ってしまったので、そのCD、その他もろもろで2万円も使ってしまいました。
私は図録付きのチケットを買っていたのでレジで上記品物の会計を済ますのと同時に、図録も頂きました。その図録が百科事典並みの厚さで非常に驚きました。今までこんなに厚い図録を用意した展示会を見たことがありません。

兎に角、気の乗らない展示会でしたが、結構見ごたえあり(+ 買い応えあり?)で大変満足した展示会でした。

本展示会で見に行く予定だった展示会は最後でした。ただ、上野の美術館、博物館では「チベットの至宝」だの「ポンペイ」だのと興味のある展示会が行われているようなので、きちんと計画を練って(今回のように終了ギリギリで行くのではなく、また、お財布とも相談して)行ってみたいと思います。

« 大船観音にいってきました+α | トップページ | 何もかもがいまいち… »

趣味」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/545938/46489683

この記事へのトラックバック一覧です: 「黄金の都シカン」展に行ってきました:

« 大船観音にいってきました+α | トップページ | 何もかもがいまいち… »

2015年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

ブログパーツを貼るリスト2